近年、東京湾臨海部や隅田川等の沿川や運河沿い地域において、リバーフロントやウォーターフロント開発がいくつも行われてきたが、その中で株式会社IHI (IHIと略称)造船工場跡地を活用した豊洲2・3丁目地区まちづくりは水辺のまちづくりとして概成し、海辺の自然を取り込んだ環境や調和のとれたまちの空間が話題を呼んでいる。
この地区は東京湾臨海部における地域再生を目的として開発されたものであり、改めて地域再生の視点から焦点を当てると、民間の手によってわが国では余り例を見ない試みが行われ、質の高いまちづくりを実現していることが浮かび上がってくる。
この豊洲地区の[特色ある再生のあり方を固有性]と捉え、今後も予想される大規模土地利用転換のまちづくりの参考になればと考え、その点を中心に内容を取りまとめた。
産業構造転換に伴い、新たな都心域として臨海部の地域構造を再編し、土地利用の転換を進めるために、東京都は「東京都臨海副都心基本計画(1988年)」、「豊洲・晴海開発基本方針(1988年)」を公にし、地域一帯の都市的土地利用への転換政策を図ることとなり、後に国により都市再生緊急整備地域の指定を受けた。
それと関連して広域インフラの計画・整備が具体化され、豊洲地区の再生整備を前提として、ゆりかもめ、りんかい線等の軌道が計画されたが、1988年に地下鉄有楽町線豊洲駅が開設されて、地域の再生機運は一層高まった。
前後して、晴海通りの延伸と環状2号線の整備の検討が進められ、具体化の方向が見えた段階で、晴海通り架橋(晴海大橋)による船舶航行の見通しが立たたなくなったことと同時に地域再生の諸計画などで可能性が高まった土地の有効活用を図るべく、IHIでは1991年に豊洲における造船部門を廃止、横浜へ移転・集約を決定することとなった。それと共に造船所跡地を地域の再生に活用する方針が決まり、道路を挟んだ工場跡地を含んで[豊洲2、3丁目まちづくり]として地域再生を進める方針が定まった。
① スピードのある再生
豊洲地区の再生は東京の都市再生と言う緊急な課題に対して、立地条件と土地条件を生かして国際競争力のある都心域に再生することが基本的な目標であった。
そのためには低迷する経済等の状況から、東京の都市再生に資する地区の再生は時間との勝負となり、豊洲地区ではスピードのある再生が重要課題となった。
② 質の高いまちづくり
同時に、国際競争力のある都心域にするために相応しい質の高い空間や環境、高次な都心活動の場の創生などが必要とされた。その実現のために、水辺の自然環境、大規模な土地、歴史的資源を活用し、今までにない固有性のある魅力的なまちをつくることがもう一つの重要な課題となった。
工場跡地で地域再生プロジェクト・豊洲2・3丁目地区まちづくりが始まるのに先立ち、東京都は都市再生の憲法とも言える「豊洲1~3丁目地区まちづくり方針(2001年)」を公表し、それに基づいて民間による再生整備を促進することとなったが、方針の策定に当たり都は地権者(IHIが大半を保有)のほかに、再開発やまちづくりなどに経験の豊富な専門企業としてUR都市機構(独立行政法人都市再生機構)、三井不動産株式会社等を含めて協議を重ね、方針に実効性を付与し、内容を豊にすることが出来た。これが再生事業のスピードと共に質の高さを可能とし、民間主役のまちづくりの推進につながった。
IHIの再生に対する次の姿勢は、今後の大規模土地利用転換による地域再生にとって参考となる点が多い。
・長年の地域との関係に立って、将来とも本地区に積極的に関わること
(IHIと周辺の地域との長年の良好な関係が開発肯定につながり、事業を円滑化した)
・IHIもまちづくりを進める一員となること
・所有地はまちづくりに賛同する企業に適宜リリースする
(借地も含め)他は保有を継続すること(現在12地権者)
⇒複数地権者の開発により、まちに多様性が生まれることにつながる
・まちづくりを先導する役割を担うこと
・本社ビルを地区内に建設すること
上記の方針が稀にみる開発スピードと質の高い再生の背景、要因になったと思われる。