現代の日本橋地区の住民による都市づくり活動は、地区の象徴たる橋への崇敬・愛着が一つの動機だった。オリンピック(1964年)に向けた首都高速道路新設で日本橋(橋と川)は上空を覆われ、危機感を募らせた当地区では1968年、名橋「日本橋」保存会を発足させる。それから半世紀近く着実な活動を続け毎年7月下旬に実施される橋の清掃作業「橋洗い」は多数の市民が参加する風物詩となっている。この「橋洗い」、国道を車両通行止めにして行う、保存会・町会と国土交通省東京国道事務所の共催イベントだ。
地元ではまた、平成11(1999)年「日本橋地域ルネッサンス100年計画委員会」(略称:日本橋ルネッサンス委員会)を設立した。役員には7連合町会長※も名を連ね、設立趣旨は「地域の活性化と日本橋川の再生ビジョンを提言し、まちづくり策を発信・行動する」と謳っている。
※日本橋地区(広義、旧・日本橋区)には町会が68あり、地域の成立ちの歴史を反映して一~七の部の連合町会にブロック化されている。
日本橋ルネッサンス委員会に老舗・企業だけでなく町内会も参加しているように、当地の民民連携は活発だ。先の「橋洗い」のように官民連携もしっかり行われている。例えば2006年に設置された日本橋再生推進協議会は、老舗企業代表が委員を務め、区長・区議・都議も顧問として参画し、中央区に事務局を置いている。
計画検討だけでなく、都市づくりの実行段階でも官民連携が効果を挙げている。前節に採り上げた室町東地区(都市再生特別地区)は、建物整備に関しては民間企業が主体だが、地下広場、通路等の整備は公共事業として行われている。
2003年以来、国交省が続けている「日本橋地区都市再生事業」は、一般国道4号の地下道路空間を有効に活用し民間の沿道施設と一体となった地下歩道整備により、歩行者空間ネットワークを創出するものだ。地下鉄の軌道及び駅空間と民地との間に挟まれた空間を活用し、共同溝の断面設計変更等も行いながら歩行者が無理なく移動できる地下通路網へと変えて行く。勿論、地上の道路交通と地下鉄運行に支障を来たしてはならない。 この一連の検討・整備を、沿道の民間再開発の進捗にタイミングを合わせて、三越新館前、日本橋三井タワー前コレド室町(室町東三井ビルディング)・YUITO(日本橋室町野村ビル)前、コレド室町3前、と順次進めてきた。
この整備は現在も進行中で、国道4号の延長約500メートルの道路下にアメニティ高い歩行空間が拡大し続けている。