まちの界隈性を生み出す仕組み 建築協定付きの借地、固定資産税+αの借地料

Vol2.
京都祇園、独特の風情を
維持・継承し地場産業活性化

Vol2. 京都祇園、独特の風情を維持・継承し地場産業活性化

東京藝術大学美術学部建築科 講師 河村 茂 氏 博士(工学)

12.19 UPDATE

まちの界隈性を生み出す仕組み -土地協定と巧みな地代設定-

 近年、茶屋建築が醸すまちの界隈性が、建替えに伴い次第に薄れつつある。これは道路の拡幅整備に伴う壁面の後退と防火建築化を求める全国一律的な建築制限に、その原因がある。この他にも近年の景気後退などによる顧客の減少や経営者の高齢化等もあって、廃業寸前のお茶屋が増えていることもある(現在茶屋は50軒ほど)。この地における茶屋の活力低下は歴史的建築物の消失だけでなく、地場産業資源としての祇園情緒を奏でる町並みとおもてなしの茶屋文化の消失をも意味し、観光都市京都の活性化にも多大な影響を与えている。

 現在この地は茶屋、料亭のほか、バーも数多く立地するようになっており、往時の面影はやや薄らぎつつあるが、すだれが下がり格子戸が続く町並みは、この地独特のもので、その風雅さと格調の高さは今日もなお継承されており、路地に聞こえる三味線の音や、まちを行く舞妓(まいこ)や芸妓(げいぎ)の姿に花街の風情が漂う。四条通と花見小路が交わる角にある赤壁の万亭は、大石良雄(よしお)の故事を伝える「一力(いちりき)茶屋」である。また4月に行われる都をどりは、先斗(ぽんと)町の鴨川(かもがわ)をどりとともに、京の春を彩る華やかな行事で、7月の祇園祭は平安時代に始まる我が国を代表する祭礼である。また祇園の北側を流れる白川の河畔には、吉井勇の「かにかくに祇園は恋し寝るときも枕の下を水のながるる」の歌碑が立っている。

 日本の伝統美を形成し、千年の歴史を刻む古都・京都。祇園は、このように京のまちの鴨東、山紫水明の地にある。まちは細街路とともに伝統的な茶屋形式の建築様式を継承し、その繊細で雅な町並みは歴史的景観保全修景地区の名に恥じない。

場所のもつ固有性 茶屋形式の和風建築物群と花街のおもてなし文化

 さて、祇園のまちの固有性であるが、この地には今日、地域資源とまでいわれるような長年かけて築きあげてきた茶屋形式の和風建築群と、花街のおもてなし文化がある。それらが相まって京都らしい情緒を醸しており、この地独特の風情ある界隈性を創出している。これらのものは、この場所固有なものである。こうした独特の風情を今日まで継承することに成功した最大の要因は、この祇園の町の大方の土地を学校法人・八坂(やさか)女紅場(にょこうば)学園(舞妓さん養成の学校)が所有していることにある。

 即ち、この祇園界隈の土地は200区画ほどに分割され、女紅場学園より各借主に賃貸に出され、お茶屋、飲食店、住宅などとして利用されている。ここで注目すべきことは、この独特な町並みを守るため、地主と土地の借主との間で土地利用を規定した合意書、ある意味任意の建築協定(一人協定)ともいえるものが結ばれていることである。この合意書に基づく業種規制(一種の用途規制)と、地域合意された景観協定により、建物の用途や外観デザインが決められている。

 さらに、注目すべきことは、このような合意・協定の取組みを実効あるものにするため、地主である学園側が土地収益を二の次に考え、借り主の地代を固定資産税の額を少し超える程度の水準に抑えていることである。もっとも逆に考えると、このようにして界隈景観を維持することで、この地の風情が保たれ地価が一定の水準を維持し、これを基本に固定資産税評価がなされているともいえる。しかし、地代を高くすると、借主はさらなる土地の有効利用をめざし、合意の範囲内でこの地の景観価値を下げるような用途、密度、形態の建築物を建てないとも限らない。この地の場合、地主と借主は、まちづくりという点では、いい方向に連携しているといえる。